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最高裁判所第二小法廷 昭和59年(あ)1551号 判決 1988年1月29日

主文

原判決を破棄する。

本件を大阪高等裁判所に差し戻す。

理由

弁護人中垣清春、同高谷昌弘、同井戸田侃、同佐伯千仭四名連名の上告趣意第一点のうち、判例違反をいう点は、所論引用の各判例は事案を異にし本件に適切でなく、その余は、憲法三一条違反をいう点を含め、その実質はすべて単なる法令違反の主張であり、同第二点のうち、憲法三八条一項、二項違反をいう点は、その実質において被告人田中及び同秋丸の各自白の任意性判断の基礎となるべき事実関係についての事実誤認の主張であり、最高裁昭和五五年(あ)第七九〇号同五八年七月一二日第三小法廷判決・刑集三七巻六号七九一頁を引用して判例違反をいう点は、右判例は事案を異にし本件に適切でなく、最高裁昭和四〇年(あ)第一九六八号同四一年七月一日第二小法廷判決・刑集二〇巻六号五三七頁及び同昭和四二年(あ)第一五四六号同四五年一一月二五日大法廷判決・刑集二四巻一二号一六七〇頁を引用して判例違反をいう点は、原判決の認定しない事実を前提とするものであり、最高裁昭和二八年(あ)第一五一六号同三二年五月三一日第二小法廷判決・刑集一一巻五号一五七九頁を引用して判例違反をいう点は、原判決は所論の点につきなんら法律判断を示していないから、その前提を欠き、その余は、憲法三一条、三三条違反をいう点を含め、その実質はすべて単なる法令違反の主張であり、同第三点は、判例違反をいうが、所論引用の各判例は事案を異にし本件に適切でなく、同第四点は、憲法三一条違反をいうが、その実質は事実誤認の主張であり、弁護人中垣清春、同高谷昌弘、同井戸田侃三名連名の上告趣意は、すべて事実誤認の主張であり、いずれも適法な上告理由に当たらない。

なお、不告不理の原則違反をいう所論にかんがみ、職権で判断すると、被告人三名に対する起訴状記載の鳴海清殺害関係の公訴事実は、後記のとおりであり、起訴状には、これに対する罪名及び罰条として「殺人 刑法一九九条 六〇条」「なお被告人秋丸につき、同法三八条二項、二二〇条一項」と記載されており、これに対し原判決が被告人衣笠及び同田中につき認定判示した事実は、後記のとおりであり、原判決は適条として「被告人衣笠の所為は刑法一九九条(逮捕監禁の限度では更に同法六〇条)に、被告人田中の所為は同法六〇条、二二〇条一項にそれぞれ該当する」旨判示している。右起訴状の記載及び第一審における検察官の釈明等から、検察官としては、被告人衣笠及び同田中については逮捕監禁行為の開始自体が殺人の実行の着手に当たり、逮捕監禁の事実は殺人の実行行為の一部を組成するものであるとしていることが明らかであり、原判決も被告人衣笠の関係につき右と同様の見解をとつているものと思われる。しかし、原判決認定事実においても、被告人衣笠は逮捕監禁に及ぶ以前に殺意を固めていたとはいえ逮捕監禁行為自体により鳴海清を殺害しようとしたものではなく、後に別個の殺害行為を予定してまず逮捕監禁に及んだとされているのであるから、逮捕監禁の事実を殺人の実行行為の一部とみるのは相当でなく、右認定事実を前提とすれば、被告人衣笠については逮捕監禁罪と殺人罪が共に成立し、両罪は併合罪であると解するのが相当である。このように、原判決には、罪数判断の誤りがあるといわなければならないが、本件起訴状における逮捕監禁の事実は、単に被告人秋丸についての逮捕監禁罪の構成要件を示す趣旨で記載されているにとどまらず、被告人衣笠及び同田中については、その殺人の実行行為の一部を組成するものとして記載されていると解されるのであつて、検察官は右被告人両名に対しても犯罪事実としてその処罰を求めているというべきであるから、原判決が前記のとおり被告人衣笠につき殺人罪の実行行為の一部として右逮捕監禁の事実を認定判示し、被告人田中につき逮捕監禁罪の成立を認めたことは、刑訴法三七八条三号にいう審判の請求を受けない事件について判決した場合には当たらない。

しかしながら、さらに所論にかんがみ、職権で調査すると、原判決は刑訴法四一一条三号によつて破棄を免れない。その理由は、以下に述べるとおりである。

一被告人三名に対する公訴事実は、昭和五三年七月一一日京都市東山区内のキャバレー「ベラミ」店内で暴力団三代目山口組組長田岡一雄を拳銃で狙撃した犯人として指名手配されていた暴力団松田組系村田組内大日本正義団幹部鳴海清(以下「鳴海」という。)を匿つたという犯人蔵匿の事実と、鳴海を逮捕監禁のうえ殺害したという事実とから成るが、争点となつている後者の公訴事実は、

「被告人衣笠豊は、神戸市兵庫区湊町一丁目一九六に本拠を置く暴力団忠成会の幹事長(若頭)、同田中未男は同会幹事長補佐(若頭補佐)、同秋丸鹿一郎は同会若衆であるが、被告人三名は、かねて同会と友誼関係にある暴力団松田組系村田組内大日本正義団二代目会長吉田芳幸から依頼を受け、忠成会組員ほか数名と共同して、さきに暴力団三代目山口組組長田岡一雄をけん銃で狙撃して負傷させ、殺人未遂事件の犯人として警察から指名手配されていた右大日本正義団幹部鳴海清(当時二六年)を昭和五三年七月一六日ころから兵庫県三木市志染町広野五丁目二九番地の忠成会理事長野村智昌の三木事務所ほか三か所等に宿泊させてかくまつていたものであるが、右鳴海において被告人衣笠らに無断で大阪市西成区鶴見橋二丁目八の一三山水園二二号の自室に舞い戻るなどの身勝手な行動に出た上、被告人衣笠らの説得にもかかわらず再度右西成区近辺に戻ろうとする同人の所為をもてあましたことや、かねて被告人衣笠らにおいて右鳴海に前記田岡に対する挑戦状の手紙を書かせてこれを同人あてに郵送させていたため、右鳴海の口から被告人衣笠らの属する忠成会の組織ぐるみで右鳴海を隠匿した事実や右挑戦状を書かせた事実が発覚することを恐れるあまり、被告人衣笠、同田中の両名は、右鳴海を殺害するに如かずと決意し、同秋丸は、右殺害の目的を有しないまま、ここに被告人三名は、共謀の上、同年九月一日午後一一時四〇分ころ、前記野村の三木事務所階下六畳間で、被告人秋丸において右鳴海の背後から羽交絞めにし、被告人田中において右鳴海の両足首を日本手拭で緊縛するとともに両手首を同様の日本手拭で後手に緊縛し、被告人衣笠、同秋丸の両名において布粘着テープで右鳴海の顔面及び頭部を鼻部だけ空けるようにして一〇数回にわたりぐるぐる巻きにし、更に同テープで両手首、両足首、膝部それに胸腹部辺りをそれぞれ何重にも重ねてぐるぐる巻きにし、そのころ、同所玄関前路上に停めていた普通乗用自動車(神戸三三そ一八九七号)の後部トランク内に同人を押し込んだ上、同月二日午前〇時過ころ、同所先から被告人衣笠において運転し、同田中において助手席に同乗して同車を発進させ、同所から約54.2キロメートル離れた神戸市北区有馬町六甲山一九一九番の一先の県道明石・神戸・宝塚線瑞宝寺谷付近路上まで右乗用自動車後部トランク内に右鳴海を閉じ込めたまま搬送し、同日午前二時前ころ、同所付近路上において、被告人衣笠、同田中の両名において同車後部トランク内から右鳴海を路上に抱え降ろし、被告人衣笠において右鳴海を同所路肩から西側瑞宝寺谷へ向け約一五二メートル下方の同谷堰堤下付近まで滑り落しあるいは引きずり降ろし、同所において、身動きできない同人の胸背部を所携の登山ナイフ様のもので数回突き刺してとどめをさし、よつて、そのころ同所で同人を心臓刺創により失血死させて殺害したが、被告人秋丸においては右鳴海の身体の自由を奪つて同人を不法に逮捕監禁したものである。」

というのである。

被告人らを鳴海殺害と結びつける直接証拠としては、被告人田中及び同秋丸の捜査官に対する各自白があるだけであるが、一、二審判決ともこれらの自白を主たる根拠として右公訴事実(被告人田中についてはその一部)につき被告人らを有罪としたものであるところ、これらの自白の内容は、第一審判決が六〇頁九行目から七一頁四行目まで及び一一八頁一二行目から一二〇頁一二行目までに要約しているとおりである(以下、被告人田中の自白を「田中自白」と、被告人秋丸の自白を「秋丸自白」と、田中自白のうち、第一審判決が「小南方を出発するまでの部分」としている部分を「田中自白前半」と、「小南方を出発してからの部分」としている部分を「田中自白後半」という。)。

第一審判決は、田中自白前半及び秋丸自白の信用性を肯定して、鳴海を三木事務所(「小南方」ともいう。)玄関前に停車していた普通乗用自動車の後部トランク内に押し込んだところまでは、被告人田中の殺意の点を除きほぼ公訴事実のとおりの事実を認定し、田中自白後半についてはその信用性を否定したものの、その余の証拠を総合して「殺害時刻及び場所の詳細や殺害の具体的態様は必ずしも明らかではないものの、鳴海は前示のように被告人衣笠及び同田中により小南方から搬出された後、程なく、その拘束の続く中で被告人衣笠により死体発見場所又はその近辺において殺害されたものと認定するのが相当である。もつとも、右殺害に他の者が関わりあつており、かつ直接鳴海の殺害行為を行つたのはその者である可能性も否定できないと思われるが、そうであつたとしても、その者の殺害行為が被告人衣笠の意思と無関係に実行されたとの事態は想定し得ないところであり、被告人衣笠は、その者といわば一心同体となつて鳴海を殺害したものと評価し得るのであつて、この場合においても被告人衣笠の刑責に変わりはないというべきである。」との判断を下して、前記認定事実に引き続き「更に、被告人衣笠において、鳴海を自動車の後部トランク内に積んだまま三木事務所から連れ去り、同日ころ、神戸市北区有馬町六甲山一九一九番地の一瑞宝寺谷山中又はその近辺において、緊縛されたままの同人の胸背部をナイフ様の刃物で数回突き刺し、よつて、そのころその場所付近において、同人を右刺創により失血死させて殺害した。」旨の事実を認定判示し、被告人衣笠につき殺人罪、被告人田中及び同秋丸につき各逮捕監禁罪の成立を認め、それぞれ、犯人蔵匿罪と合わせて、被告人衣笠を懲役一〇年に、同田中及び同秋丸を各懲役三年六月に処した。

これに対し、検察官及び被告人らの双方が控訴したところ(但し検察官は被告人衣笠及び同田中に関する部分についてのみ)、原判決は、検察官の控訴を一部容れ、かつ、一部職権判断により、第一審判決が田中自白後半の信用性を否定した点を誤りとし、被告人衣笠及び同田中の犯行態様について事実誤認があるとして、第一審判決中の右被告人両名に関する部分を破棄し、ほぼ全面的に田中自白及び秋丸自白に沿つて、被告人田中の殺意等の点を除きほぼ公訴事実どおりの事実を認定し、第一審判決と同様に、被告人衣笠につき殺人罪、被告人田中につき逮捕監禁罪の成立を認め、それぞれ、犯人蔵匿罪と合わせて懲役一〇年及び同三年六月に処した。なお、原判決は被告人秋丸については控訴を棄却した。

原判決が被告人衣笠及び同田中につき認定判示した事実と、原判決が是認した被告人秋丸に関する第一審判決の認定判示した事実を、犯人蔵匿の関係をも含めてまとめると、次のとおりである。

「第一 (犯人蔵匿関係) 昭和五三年七月一一日京都市東山区所在のキャバレー「ベラミ」店内において、暴力団三代目山口組組長田岡一雄が拳銃で狙撃され負傷する事件が発生し、間もなく、警察当局によりその犯人は暴力団松田組系村田組内大日本正義団幹部鳴海清であると断定され、同人は殺人未遂事件の犯人として指名手配され、その所在捜査が開始された。ところで、反山口組系暴力団忠成会の理事長である野村智昌は、同月一五日までに、右大日本正義団二代目会長吉田芳幸から、右狙撃事件の犯人が鳴海であることを打ち明けられるとともに同人の蔵匿方を依頼されてこれを引受け、同日、神戸市兵庫区内所在の忠成会本部事務所三階において、同会幹事長である被告人衣笠を同席させたうえ、同会幹事長補佐因幡弘幸に対し、当時名古屋市内の都ホテルに潜伏していた鳴海を同会幹事長補佐である被告人田中とともに迎えに行くよう指示し、これを受けて因幡は、そのころ野村から右同様の指示を受けた被告人田中とともに名古屋市に赴いた。そして、因幡及び被告人田中は、同市内から兵庫県三木市志染町広野五丁目二九所在の野村の三木事務所まで鳴海を連れて行つたうえ、同月一六日早朝、同所において、予め因幡からの連絡により同所で待機していた同会組員である被告人秋丸に対して鳴海の蔵匿方を指示し、右指示に基づいて被告人秋丸及び三木事務所の管理人である小南安正において、鳴海を同所に住まわせて匿うこととなり、以後、同年九月一日までの間、忠成会関係者らにおいて鳴海を蔵匿したのであるが、その際、

(一)  被告人三名は、前記野村、因幡、小南及び近藤光男らと共謀のうえ、同年七月一六日から同月一九日ころまでの間、前記三木事務所に鳴海を宿泊させ、

(二)  被告人三名は、前記野村、因幡、瀬田栄機、三谷寿昭らと共謀のうえ、同月一九日ころから同月二四日ころまでの間、神戸市兵庫区所在ローレルハイツ神戸の因幡方に鳴海を宿泊させ、

(三)  被告人三名は、前記野村、因幡、瀬田及び村岡明美らと共謀のうえ、同月二四日ころから同年八月八日ころまでの間、三木市別所町所在の村岡方に鳴海を宿泊させ、

(四)  被告人衣笠は、前記野村、因幡、瀬田及び水原修らと共謀のうえ、同月八日ころから同月二二日ころまでの間(同月一〇日ころから同月一五日ころまでを除く)、兵庫県加古郡播磨町所在柳荘の室井孝夫方に鳴海を宿泊させ、

(五)  被告人衣笠、同秋丸は、前記野村、瀬田、小南らと共謀のうえ、同月二二日ころから同年九月一日までの間、前記三木事務所に鳴海を宿泊させ、

もつて、殺人未遂犯人である鳴海を蔵匿した。

第二 (殺人、逮捕監禁関係) 被告人三名は、前記のとおり、鳴海清(当時二六年)を匿つていたところ、同人が被告人らに無断で大阪市西成区内の山水園の自室に舞い戻るなどの身勝手な行動に出たうえ、被告人衣笠らの強い指示により前記柳荘に帰つた後も再度右西成区近辺に戻りたがるなどのことがあつて、これを持て余したことや、鳴海の蔵匿の間に被告人衣笠が前記吉田芳幸を介し鳴海を唆して田岡一雄に対する挑戦状を書かせ、これを同人に郵送させていたため、鳴海の口から忠成会関係者らが鳴海を匿つていた事実や挑戦状を書かせた事実が山口組関係者や警察当局に発覚することを恐れるあまり、被告人衣笠において、当時鳴海が匿われていた前記三木事務所から、同人を縛り上げて連れ出したうえ殺害しようと企て、同年九月一日午後一一時過ぎころ、被告人田中とともに三木事務所に赴き、同所一階応接間において、被告人田中及び予め被告人衣笠から指示を受けて同所に待機していた被告人秋丸に対し、鳴海を押え付けたうえ同人を縛り上げるよう命じ、被告人田中及び同秋丸はこれを承諾した。ここにおいて、被告人衣笠は、鳴海を殺害する目的を持ち、同田中及び同秋丸は、右殺害の目的を有しないまま、鳴海の身体を緊縛することを共謀のうえ、同日午後一一時四〇分ころ、三木事務所一階六畳間で、被告人秋丸において、鳴海を同所二階から呼び降ろしたうえ、その背後から両腕を締め付け、被告人田中において、鳴海の両足首及び後手にした両手首をそれぞれ日本手拭で緊縛し、被告人衣笠、同秋丸の両名において、布粘着テープで鳴海の顔面、頭部、両手首、両足首及び膝のあたり等に幾重にも巻き付けたうえ、翌二日午前零時過ぎころ、同所玄関前路上に停めていた普通乗用自動車の後部トランク内に同人を押し込んだうえ(被告人秋丸はここまでの逮捕監禁の限度で刑責を負う。)、被告人衣笠及び同田中は、前同様の目的で、共謀のうえ、被告人衣笠において運転し、同田中において助手席に同乗して同車を発進させ、西神戸有料道路、神戸市兵庫区内の夢野交差点、平野交差点、有馬街道、裏六甲有料道路を経て、同日午前二時前ころ、三木事務所から約54.2キロメートル離れた神戸市北区有馬町六甲山一九一九番の一先の県道明石・神戸・宝塚線瑞宝寺谷付近路上まで、鳴海を乗用自動車後部トランク内に閉じ込めたまま搬送し、もつて、鳴海の身体の自由を奪つて同人を不法に監禁し、更に、被告人衣笠は、同時刻ころ、トランクから路上に抱え降ろした鳴海を同所路肩から西側瑞宝寺谷に向け、約一五二メートル下方の同谷堰堤下付近まで、滑り落しあるいは引きずり降ろすなどして運んだうえ、同所において、身動きできない同人の胸背部を所携の登山ナイフ様の刃物で数回突き刺し、よつて、そのころ同所において同人を心臓刺創により失血死させて殺害した。」

二田中自白及び秋丸自白の信用性に関しては、多岐にわたる論点があるが、まず第一に、第一審判決と原判決が判断を異にしている田中自白後半の信用性について検討する。

第一審判決は、疑問点として、① 田中自白によると、被告人衣笠は、車のトランクから降ろした鳴海を道路脇の藪の中に投げ込んだ後、自らも藪の中に飛び込んで行き、約二〇分後に息を切らせながら戻つて来たというのであるが、関係証拠によると、死体発見現場は県道上の被告人田中の指示する地点から約一五〇メートルの距離にあり、その間は、終始三〇ないし四五度の急な傾斜面であるうえ、足場も脆く、途中には傾斜六〇度ないし九〇度、高さ1.1メートルないし2.4メートルの石積みも三か所あり、所によつては、樹木、熊笹、雑草が繁茂している状況にあり、裁判所の検証の際の模擬人体を用いての実験によると、日中においても右往復には一九分二七秒を要しており、夜間においては現場が暗く同じ実験を行うのは危険であるとされているのであつて、田中自白にあるように、被告人衣笠が夜間照明器具を用いることなしに危険防止と道に迷わないことに配慮しつつ約二〇分間で同所を往復することは極めて困難であるといわざるをえないこと、② 田中自白によると、被告人衣笠は右のように藪の中から県道上に戻つて来て車の運転席に座り、約二、三分ないし数分の間、息をはずませ、ぐつたりしていたが、その後エンジンをかけて車を発進させたというのであるが、裁判所の実験の際の実験者の極度の疲労状況のほか、運転のできる被告人田中がそばにおり同人に運転を代わつて貰うのに何ら支障もなかつたと考えられることなどからみて、右田中自白は相当疑わしいといわざるをえないこと、③ 田中自白によると、被告人衣笠は一人で鳴海を死体発見現場まで運搬したことになり、田中自白からは同人が運搬のための道具を用いたことは窺われないから、同所付近の地形等を考慮すると、被告人衣笠による鳴海の運搬方法としては、裁判所の実験において行われたような身体を斜面に沿つて滑らせたり、引きずつたりするなどの態様しか想定しえないが、右実験結果によると模擬人体に着用させた着衣には多数の損傷が生じているのに、鳴海の死体の着衣には刃物によると思料されるもののほかには目立つた損傷はなく、田中自白には客観的状況に符合しない不合理な部分があるといわざるをえないこと、④ 田中自白は、被告人衣笠が右のようにして車を発進させ、ユーターンしてから神戸市の市街地に向かつたとしているが、そのユーターンの場所について何ら理由を付することなく供述を変更しており、不自然と思われること、⑤ 田中自白によると、被告人田中は被告人衣笠から行き先を告げられないで単に夜間同乗していたにすぎないのに、検察官調書中において、車をとめた場所について、本件犯行当時の記憶に基づくものとして詳細な供述を行つているのは、それ自体不自然であること、以上の五点を指摘したうえ、⑥ 捜査報告書によると、昭和五三年一一月一〇日実施の同行見分の際、被告人田中が死体発見現場の上方の、鳴海を車から降ろしたと自白した地点と客観的に認められる場所を的確に指示したとされていること、⑦ 田中自白において被告人衣笠が鳴海を運び降ろしたとする地点から、死体発見現場まで降りることは、現実に可能であり、捜査官証言によれば、この経路は田中自白によつて初めて判明したとされていること、⑧ 右経路の途中から鳴海の死体に巻かれていたものと同質のガムテープ片及びボタン一個が発見され、鑑定の結果、右ガムテープ片には鳴海の着用していたパジャマの繊維及び三木事務所一階六畳間のじゆうたん繊維とそれぞれ同色同質の繊維片、並びに鳴海の頭髪と酷似する毛髪が付着しており、右ボタンも鳴海の着用していたパジャマ上衣のそれと同質であるとされていること、⑨ 鳴海を搬送する途中通過した裏六甲有料道路の料金所が当時無人であつた旨の田中自白が捜査照会の結果と符合していること、⑩ 逮捕監禁、殺人幇助容疑についての勾留質問時においても、被告人田中は被疑事実を認めていることを列挙し、以上の証拠状況は、一見田中自白を裏付け、その信用性を高めるもののようにみえるが、仔細に検討すると右に現れた各捜査資料や捜査官証言は必ずしも信用できず、また、そうでないものも事実自体真犯人でなければ知りえないものではないなど、いずれも田中自白の裏付けとなるものとは認められないとして、結局田中自白後半の信用性を否定した。

これに対し原判決は、①については、田中自白にいう「約二〇分」という時間はある程度の誤差を伴うものとして理解すべきであり、往復経路の嶮岨さや、本件犯行時と裁判所実験時との条件の差異を考慮しても、本件犯人はその実験値に二、三分、多くても数分プラスした時間内に往復できたものと考えられること、②については、田中自白にいう被告人衣笠の疲労状況と裁判所の実験結果とは、実によく合致しているように思われ、また、田中自白によると、被告人衣笠が戻つて来たとき、被告人田中は助手席に座つていたのであり、同人は行き先について全く知らされていなかつたし、自分の方から運転の交替を申し出なかつたのは、鳴海を殺害したらしい被告人衣笠に対して反感を覚えていたためであるというのであるから、被告人衣笠が運転したことにも何ら不自然というべきかどはないこと、③については、裁判所の実験に用いた模擬人体の着衣に生じた損傷と、鳴海の死体の着衣に存した損傷との間にかなり顕著な相違はあるが、模擬人体の場合は、パジャマの上衣とズボンとがガムテープによつてしつかりと繋がれ、上衣がめくれ上がつたりズボンがずれたりしていないのに対し、死体発見時の鳴海のパジャマは、上衣はボタンがはずれたりちぎれたりして、両肩部がずり落ち、裾がめくれ上がるなどし、ズボンは膝から足元付近にずり落ちており、鳴海の着衣には損傷が生じにくかつたということも十分考えられるうえ、鳴海の死体に巻かれていたガムテープには、山肌で擦過したために生じたと思われる損傷が明瞭に存するのであるから、被告人衣笠が鳴海を引きずり降ろすなどしたことが十分推認されること、④⑤については、被告人田中について同行見分が行われていることを考慮すると、そのような供述変更や詳細な供述が不自然とは思われず、田中自白の信用性を考えるうえでさほど重大視すべき点ではなく、第一審判決の判断は形式論に過ぎると思われることを理由に、第一審判決が疑問点とした五点はいずれも首肯しがたいとし、第一審判決が指摘する⑥ないし⑩の点については、各捜査資料や捜査官証言は十分信用しうるものであり、これらの証拠状況は、いずれも程度の差はあれ田中自白の信用性を裏付けるに足るものと認められるとして、田中自白後半についてもその信用性を全面的に肯定している。

記録に照らして検討すると、①の点については、田中自白にいう「約二〇分」という時間を問題にするまでもなく、被告人衣笠がたつた一人で、田中自白から想定される一五〇メートルもの嶮岨な深夜暗闇の山中を、照明器具や運搬道具も用いず、しかも背広に革靴という普通の服装で、体重約七〇キログラムの鳴海を運搬することは、不可能とまではいえないとしても著しく困難な作業であることは明らかというべきであり、また、両手、両足を手拭及びガムテープで緊縛した状態の人体は(手は後手)そのままではかなり運びにくいことも想像にかたくないところであるが、死体のガムテープ等に手で握つたと思われる部分は見当たらない。田中自白によると、被告人衣笠は六甲山中の県道上で迷うことなく藪の中に飛び込んだ地点のすぐ近くに停車したことになつているところ、この田中自白が真実であるとすると、被告人衣笠は予め入念な下見等をしていたことになるが(検察官も第一審論告でそのように主張している。)、そうだとすると、照明器具、運搬道具及び服装等の準備をしていないというのはおかしいし、そもそも被告人衣笠ほどの幹部が事前の計画に基づきこのような危険で骨の折れる作業を一人で行うということ自体が極めて不自然と思われるのである。のみならず、田中自白においては、被告人衣笠が被告人田中に鳴海の運搬等の実行を命ずることなく、被告人衣笠が危険な作業をしている間被告人田中はただ車内で待つていただけであるとなつているが、そのような役割分担自体が不自然というほかないであろう。②は、右の全体の役割分担の問題からみれば、かなり細かい点であるが、田中自白によると、そもそも被告人田中は気が進まないながらも被告人衣笠の命令によつて鳴海に対する逮捕監禁行為へ加担したのであり、衣笠に対する反感があつたといつても、その地位の上下関係からその命令には従わざるをえなかつたはずであり、田中自白において、疲労しているはずの被告人衣笠が被告人田中に運転を命じなかつたとされていることは、やはりやや不自然というべきであろう。③の点については、原判決の指摘するような実験との条件の違いや、その引用する原審で取り調べた証拠を検討しても、被告人衣笠が田中自白等から想定されるような運搬方法をとつたにしては、鳴海の死体の着衣及びガムテープの損傷や死体自体の損傷は、軽微に過ぎるように思われる。このようにみてくると、④ないし⑩の点について判断するまでもなく、田中自白後半のうち、少なくとも、被告人衣笠が深夜たつた一人で鳴海を六甲山中の停車地点から死体発見現場まで運んで殺害したことを推定させる部分については、これをこのまま信用することは困難である(右に述べたところからは、仮に鳴海(ないしその死体)が田中自白から想定される経路を運搬されたとしても、それは、おそらく複数の者により何らかの道具等を用いるなどして行われたものとみるのが自然であると思われる。)。

三第二に、弁護人らが第一審以来強調しているにもかかわらず、一、二審判決とも特に論点として取り上げて判断を示していない鳴海の下前歯四本の欠如の点について検討する。

記録によると、発見当時の鳴海の死体の状況は、ほぼ第一審判決二三頁ないし三一頁に説明されているとおりであり、死体の頭部及び顔面には幅五センチメートルのガムテープが幾重にも巻かれており、頭頂部及び鼻腔部の周辺が露出しているにすぎず、口の上にも幾重にも巻き付けられていたが、下顎歯の切歯四本が欠如していた。この下前歯四本の欠如については、死体解剖をした医師溝井泰彦は、死後に腐敗によつて脱落した可能性が高いが、生前の脱落ではないとも断定はできないと述べるにとどまつている。捜査官証言中には、下前歯四本は野犬が食いちぎつたのではないかとか、被告人衣笠が山中を運搬中岩などに当たつた衝撃で脱落したのを、鳴海がガムテープの隙間から吐き出したのではないかなどという説明があるが、前者については、野犬が口の上に巻かれているガムテープをそのままにして下前歯四本だけを食いちぎることができるわけがないといわなければならないし、後者については、上前歯及び歯茎に何らの損傷もないことと整合しないし、ガムテープは口から物を吐き出せるような隙間がないようにしつかり巻かれているのであつて、いずれの説明も無理というほかなく、下前歯四本の欠落は、とにかくその口にガムテープが巻き付けられる前に起こつたものではないかとの疑いは否定できないというべきである(前記溝井医師の説明もこの疑いを否定するものではない。)。しかるに、田中自白及び秋丸自白によると、鳴海は殆ど抵抗をしないまま被告人らにより逮捕監禁されたとされており、ガムテープが口に巻き付けられる前に下前歯四本が欠落するような事態はなかつたことになっているのであるから、田中自白及び秋丸自白は、下前歯四本の欠如の点と矛盾することになり、これら自白は、鳴海がガムテープ等を巻き付けられるなどされるに至つた具体的態様について、少なくとも一部虚偽をまじえている疑いが否定できないというべきである。一、二審判決が共に、この論点について明示的判断を何ら示すことなく、鳴海が無抵抗であつたとしても不自然ではない旨の判断を示し、三木事務所における逮捕監禁の事実に関し、全面的に田中自白前半及び秋丸自白に従つてこれを認定していることには、疑問を差し挟まざるをえない。

四以上みてきた二点のみからも、田中自白及び秋丸自白のとおりに、鳴海殺害についての具体的事実関係を認定することはできないというべきであり、田中自白及び秋丸自白の信用性をめぐるその余の論点についても、右二点の疑問点を前提とした慎重な検討が必要であつたといわなければならない。なお、このように、田中自白及び秋丸自白には、その重要部分において信用しがたい点があるのであるが、全面的に信用性がないというべきか、信用できる部分も残るというべきかについては、さらに、これら自白以外の証拠関係の慎重な検討が必要であるように思われる。すなわち、パジャマ姿で緊縛されていた死体の状況自体が、鳴海が気を許していたところを不意をつかれたのではないかと思わせるものであるうえ、鳴海殺害と被告人ら忠成会関係者を結び付ける物的証拠として鳴海の死体とともに発見された日本手拭や、前記二の⑧のガムテープ片に付着した繊維片についての鑑定結果等があるが、鳴海殺害に関係した犯人らの特定に関しては、これらのほかに、大筋においては争いのない犯人蔵匿をめぐる事実関係(特に被告人ら忠成会関係者の周到な蔵匿の態様やその間における瀬田会等を含む松田組系関係者の深い関与等)、鳴海による田岡組長狙撃事件を含む山口組と松田組の一連の暴力団抗争の推移などの背景事情の分析も重要であろう(なお、原判決は、被告人衣笠特有の犯行動機をうかがわせる事情として、同被告人が鳴海を唆して田岡一雄に対する挑戦状を書かせた旨認定しているが、背景事情にかんがみると、右認定には疑問があるように思われる。)。このような物的証拠や情況証拠の面から、鳴海がこれら暴力団関係者の中の何者かによつて殺害されたことはまちがいないところと考えられるが、さらに、その犯行が、被告人ら忠成会関係者によるものか、鳴海を預けた側の瀬田会等を含む松田組系関係者によるものか、両者の共同によるものかなどといつた点に関する検討を行うことが、田中自白及び秋丸自白の信用性を判断するうえで不可欠であると思われる。

五原判決は、前記二、三で指摘したとおりの証拠の正当な評価に基づかない明らかに不合理な判断を示し、ほぼ全面的に田中自白及び秋丸自白に依拠して、被告人衣笠につき殺人罪、被告人田中及び同秋丸につき逮捕監禁罪の成立を認めているのであり、原判決には、重大な事実誤認をした疑いが顕著であつて、これが判決に影響を及ぼすことは明らかであり、原判決を破棄しなければ著しく正義に反するものと認められる。

よつて、刑訴法四一一条三号により原判決を破棄し、同法四一三条本文に従い、さらに右四で述べたような点の審理を尽くさせるため、本件を原審である大阪高等裁判所に差し戻すこととし、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官藤島昭 裁判官牧圭次 裁判官島谷六郎 裁判官香川保一裁判官奥野久之)

弁護人中垣清春、同髙谷昌弘、同井戸田侃、同佐伯千仭の上告趣意(昭和六〇年二月二七日付)

はじめに 本件の審理経過と問題点<省略>

第一点 原判決は、不告不理の原則に違反し、最高裁判所の判例と相反する判断をなした違法がある。

一 原審において、弁護人佐伯千仭、同井戸田侃の控訴趣意第一点においては、第一審判決は、何ら殺人事件について起訴されていない被告人秋丸に対しても、これに対して起訴があつたかのように誤解し、さらには逮捕監禁事件のあるのを忘れて、「右三名に対する各殺人、犯人蔵匿被告事件について、――」と表示し、重要な判決書の事件表示にきわめて初歩的な誤りを犯している。しかもこのような審判の対象についての軽率な認識にもとづき、被告人衣笠、同田中に対しては、逮捕監禁行為については何ら公訴提起がないのにもかかわらず第一審判決はこれをほしいままに審判の対象となし、これを有罪と認定しているのであつて、このことは審判の請求をうけない事件について判決をした違法がある旨主張した。

これに対して原判決は、「鳴海への逮捕監禁の事実は、前記の公訴事実の中に具体的に記載されて」いること、右逮捕監禁事実の記載は、「殺人の実行行為の一部を組成するものとされていること」、「殺人罪の成立が認められない場合に、逮捕監禁罪の限度での処罰まで求めない趣旨ではないこと」、「逮捕監禁罪と殺人罪とが併合罪となるとしても、逮捕監禁行為は審判の対象となる」等を理由として、「右逮捕監禁の事実は、被告人衣笠及び同田中の関係においても殺人の訴因の一部として審判の対象となつていたものである」と判示した。

二 しかし、最高裁判所は、――併合罪ではなくあきらかに科刑上一罪たる牽連犯にあたる場合についてさえも、――つぎのように判示している。曰わく

「本件起訴状には公訴事実中に『屋内に侵入し』と記載されてはいるが罪名は単に窃盗と記載され罰条として刑法二三五条のみを示しているに過ぎない。しかも第一審公判調書を見るに右住居侵入の訴因について、裁判官の釈明もなく検察官において罰条を示して訴因を追加した形跡もなく第一審判決もその点について何等の法律適用を示していない。されば、住居侵入の点は訴因として起訴されなかつたものと見るのが相当である。しかるに原判決は――訴因の追加もないのに住居侵入の犯罪事実を認定しこれに対し刑法一三〇条を適用したのは、結局審判の請求を受けない事件について判決をした違法があるものといわなければならない。」(最高裁昭和二五年六月八日決、刑集四巻六号九七二頁)。

この判例は、公訴事実中に住居侵入の事実が具体的に記載されていても、またそれが住居侵入窃盗の一部を組成するものであるとしても、起訴状の罪名、罪条に住居侵入の記載がないからには、罪名、罪条を示して訴因を追加しない以上、住居侵入の事実を認定処断することは審判の請求をうけない事件について判決をしたものだというのである。本件においても、まさに、逮捕監禁については、起訴状中の罪名・罪条には何ら記載されておらず、また訴因・罪条の追加・変更もないのであるから、右判例によれば、原判決はあきらかに請求をうけない事件について認定処断したものといわざるをえないのである。かりに殺人の手段たる逮捕監禁行為であるとしても窃盗の手段たる住居侵入行為とひとしく論ぜられるべきこと当然である。

原判決は、「逮捕監禁罪と殺人罪とが併合罪となるとしても、逮捕監禁行為は審判の対象となることを妨げるものではない」とすらいう。しかし併合罪の関係に立てば、訴因・罰条の追加・変更すら許されず、追起訴の方法によらなければならないことは疑ないところである。してみれば起訴状の罪名・罰条に逮捕監禁の事実がないからには、右のような原審の判断が、右判例に反することはいよいよ明白である。

三 もつとも原判決は、「右逮捕監禁の事実は、被告人衣笠及び同田中の関係においても殺人の訴因の一部として審判の対象となつていたものである」という。しかしかかる判断も、最高裁の判例に反する全く原審独自の判断であるといわねばならない。

最高裁判所の判例によれば、本件と同じく被害者の逃走を不能にして事務所へ連れ込み監禁したうえ、その状態で包丁により指を切断する傷害を負わせた行為(但しそれは監禁、傷害として起訴されたが、弁護人は牽連犯として科刑上一罪を主張した)に対して、「傷害の手段として監禁がなされたものであつても、この行為の性質からみて、両者が通常手段結果の関係にあるものとは認められない」し、両者を併合罪とした「原判決の判断は相当である」としたのである(最高裁昭和四三年九月一七日決、刑集二二巻九号八五三頁)。

このケースは、本件と全く同じように監禁中に傷害を与えた行為に関する事件である。第一審判決は、この監禁と傷害とを「罪となるべき事実」、「法令の適用」においてもはつきりと、第一、第二とわけて判示している。本件のように、「(逮捕監禁の限度では更に同法六〇条)」というようなあいまいな判示ではない。そうしてこれらを併合罪とした第一審を維持した控訴審判決を正当としたのである。本件は、この判例のケースと、傷害と殺人との間に相異があるにすぎない。全く同一のケースであるといえる。原判決はこの判例に反すること疑問の余地はない。

これと同趣旨の最高裁判所判例は、他にもいくつかみられる。たとえば、強姦の意思で二人の居た室から一人を連れ出して逮捕監禁し、残つた一人に対して強姦致傷を犯した連続した行為に対しても、この逮捕監禁と強姦致傷とは併合罪であるとし(最高裁昭和二四年七月一二日判、刑集三巻八号一二三七頁)、監禁中になされた暴行脅迫すらも、監禁罪と別個に暴行脅迫罪が成立し、これは併合罪であるとしたケース(最高裁昭和二八年一一月二七日判、刑集七巻一一号二三四四頁)もみられる。これらは逮捕監禁を事実上の手段としてなした行為であつても、傷害、強姦致傷、暴行脅迫はそれぞれ逮捕監禁とは別訴因として起訴し、かつ有罪認定されており、これらが別罪=別訴因を構成することを明白に示している。逮捕監禁の事実は殺人の訴因の一部として審判の対象となつているとする原判決は、それが右各判例に違反することはあきらかである。

事実、客観的にみても、逮捕監禁行為と殺人との関係についても、たとえば「逮捕・監禁が殺人行為の一方法とみとめられるばあいには(たとえば、人を殺害する意図で、この者をふとんでくるみ、この上をロープで厳重にしばり放置し、被害者を窒息死させたばあい)、殺人罪のみが成立し、別に逮捕・監禁罪を構成しないが、逮捕・監禁が殺害のための手段として用いられても、それが殺人行為の一方法とみとめられないばあい、たとえば、人を殺害する意図で、まずこの者を監禁し、その後、これを射殺したばあいには、監禁罪と殺人罪の二罪が成立し併合罪となる」といわざるをえないのである(注釈刑法(5)二四三頁、福田平教授執筆)。本件は――もしかりに殺人が成立するとしても――「人を殺害する意図で、まずこの者を監禁し、その後、これを刺殺した」というのが原審の認定であるから、この二罪の関係は明白に併合罪である。原判決は本件を逮捕監禁行為自体により鳴海を殺害したものと勘違いしている。しかし原判決の認定したのは、刺殺による失血死なのである。

以上のごとくであるから、原判決の「逮捕監禁事実は――殺人の実行行為の一部を組成するものとされていることが明らかである」。「殺人罪が成立すれば、逮捕監禁行為は同罪に包括吸収される」という判断はあきらかに誤りである。「逮捕監禁の事実は、――殺人の訴因の一部として審判の対象となつていたもの」ではない。何故ならば本件は逮捕監禁という行為によつて殺害したものではないからである。

四 かくして原判決は不告不理の原則に違反し、右のように二点にわたり最高裁判所の判例に反する判断をなしたことは疑問の余地がない。その結果、被告人衣笠に対しては殺人の起訴に対して訴因の追加・変更もないのに不意打に殺人と逮捕監禁を認定し、被告人田中に対しても殺人の起訴に対して逮捕監禁を認定処断したのである。そうしてこれが判決に影響を及ぼすことは明らかであるというべきである。原判決は破棄を免れない。

第二点〜第四点<省略>

弁護人中垣清春、同井戸田侃、同髙谷昌弘の上告趣意(昭和六〇年二月二七日付)<省略>

《参考・本判決引用の一審判決中の自白要約部分》

一秋丸の自白

二田中の自白(前半部分)

三田中の自白(後半部分)

一秋丸の自白

『昭和五三年九月一日当時、小南方で鳴海を匿つていたが、同日午後一時ころ、被告人衣笠から、「四時ころそちらへ行く」旨連絡があり、同日午後四時ころ、同人が自動車で小南方を訪れた。同人は、被告人秋丸に対し、「清ちやんは最近頭が混乱しとるので、当分の間座敷牢に入れて頭を冷やすようにするんや」、「道順を清ちやんに覚えられないように眠らせてから連れ出すから、この睡眠薬を飲ましてくれ」と言つて、背広のポケットから黄色の紙包一個を取り出して同人に交付し、「うまく飲ますことができたかどうか、九時ころに聞く」と言つて帰つて行つた。自分は、夕食時に鳴海の味噌汁の中に前記睡眠薬を入れたが、同人が飲まなかつたために失敗した。

同日午後九時ころ、二階で鳴海とテレビを見ていると、衣笠からの電話があつたので、失敗した旨告げると、同人は、「仕方ない。お前と二人で括つて出そうか。どうや二人でいけるか」と尋ねたので、もう一人いた方がよいと提案したところ、衣笠もこれを了解した。

同日午後一一時過ぎころ、衣笠及び被告人田中が小南方に自動車に乗つて訪れたので、二人を一階応接間に案内した。同所で衣笠が、自分に対し、「何か括るものあるか」と尋ねたので、台所の水屋の中の新品の手拭を思い出し、その中から二本を取り出し、のし紙を剥ぎ取つて田中に渡した。衣笠は、「鳴海をここに呼んで来てお前は鳴海が座つたら、後から襲え」と命令し、田中にも何か命令していた。隣の六畳間の方が縛り易いと思つたので、衣笠に、「六畳の方に連れて来ます」と言つて二階に行き、既に寝ていた鳴海を起こして一階六畳間へ連れて来た。

鳴海は、衣笠に向かつて正座したので、自分は、衣笠の前に灰皿を置いてから鳴海の後方に近付き、いきなり両手で同人の両腕を外側から抱え込むようにしたうえ同人の両脇に腕を差し入れる状態で同人の両腕を締め付けたので、同人はバランスを失なつて横向きに倒れた。同人は、「頭、これなんでんのん」と言つたが、さしたる抵抗はせず、その後、田中が同人の両手両足を前記日本手拭で縛り、衣笠がどこからか持つて来た幅五センチメートル位のガムテープで同人の頭や顔を巻き付け、更に自分にも「あとを巻け」と命令したので、やむなく鳴海の口付近を二、三回ガムテープで巻いた。

その場の光景があまりにもむごいので、「荷物を取つて来る」と口実をつけて二階に行き、鳴海の服等をその場にあつたビニールの覆いのついた紙袋に入れ、更に同人の拳銃を探し出して、これらを衣笠に手渡したが、その際、同人の左脇腹の辺にナイフがさしてあるのを目撃した。その時鳴海は、頭、顔及び両手両足をガムテープで巻かれ、床の上に転がつていた。

こうして一段落ついたので、台所の冷蔵庫から麦茶を取り出して被告人三人で飲み、その後、衣笠の命令で、田中が鳴海の足、自分が頭を持つて、田中が先頭となつて、同人を屋外に運び出して、衣笠の車のトランク内へ運び入れ、頭が右側になるように鳴海を横向けに寝かせ、足を少し曲げて押し込んだ。その後、同じく衣笠の命令で、布団と毛布を小南方から持ち出して右トランク内に詰めた。

その前後、三木方面から来る車のライトが見えたので、衣笠に注意すると、同人はトランクを閉め、そのまま車の付近で佇立していたところ、その車は小南方前を通過して二、三〇メートル離れた辺りで停車し、一人の男を降ろしてそのまま走り去つた。その男は、小南方東側の空地を横切つて小南方の裏の中園アパートの二階へ上つて行つた。その後衣笠が運転席に乗り込み、田中は、自分に対して「疲れたやろ。今日はゆつくり休めよ」とねぎらいの言葉を掛けてから車の助手席に乗り込み、車は、その後三木方面へ走り去つたが、その時の時刻は、同月二日午前零時過ぎころと思う。それから、家に入り、一階応接間でブランデーを飲もうとしていたところ、「ピーポー、ピーポー」というサイレンが聞えたので、鳴海を連れ出した事実が発覚したのかと思つたが、関係がないようだつたので安心した。』

二田中の自白(前半部分)

『同年九月一日午後一一時ころ、自宅で妻の邦子とテレビを見ていたところ、被告人衣笠から電話があり、忠成会事務所に来るように指示されたので、直ちに同所に赴いたところ、衣笠は車を事務所前に停めて待つていた。車に乗り込むと衣笠は直ちに発進させ、西神戸有料道路及び県道神戸三木線を通つて三木方面に向かつたが、途中、衣笠は小南方に行くと言つただけで、その目的については何も話してくれなかつた。車は、同日午後一二時前に前記小南方に到着したが、その途中、広野のゴルフ場の手前で道路工事をしており、片方通行となつていた。

小南方では、被告人秋丸が出迎え、一階応接間へ入つた。右応接間において、衣笠が、秋丸に、「鳴海を括つて連れ出すから、何か括る物の用意をしとけ」と命令していたので、初めて鳴海が小南方に匿われていたこと及びこれから同人を縛つて連れ出すということが分つたが、秋丸は、別に驚いた様子もなく、すぐに台所から日本手拭二本を取つて来て、自分に渡して寄こした。そして、衣笠は、秋丸及び自分に対し、それぞれ「わしが合図をするから、鳴海の後から腕をとつて動けんようにしろ」、「秋丸が腕をとつて動けんようにしてから括れ」と命令し、更に、秋丸に対し、鳴海を呼んで来るよう指示したところ、秋丸は、隣の部屋がよいと言いながら二階に上つて行つた。

そこで、衣笠と共に、隣の六畳間に移つて待つていると、間もなく鳴海が部屋へ入つて来て衣笠と向い合わせに正座し、二言、三言話をしたが、その間、秋丸は灰皿を同衣笠の前に出して、すぐに鳴海の斜め後に佇立したので、衣笠があごをしやくつて合図をした。

これに呼応して秋丸が、いきなり鳴海の背後から同人に飛びかかり、立つたまま同人を抱え込むように押えつけたので、同人は両足を前に投げ出す格好になつたが、その間同人は、「頭何でんの」と衣笠に食つて掛つた程度で、目立つた抵抗はなかつた。その後、自分は、衣笠から命令されて、同人の足首及び手首をこの順序で、日本手拭で縛り、これで鳴海は、やや横向きとなつたが、衣笠は、更に鳴海の頭、顔、両手及び両足等をガムテープで幾重にも巻き付け、秋丸もこれを手伝い、鳴海は、遂に体を「く」の字に曲げて、六畳間のじゆうたんの上に転がされてしまつた。

その後、秋丸が二階に上つて鳴海の衣類等を紙袋に入れ、これを青いビニール袋の中に入れて持つて降りて来た。秋丸が降りて来た所で、衣笠は、秋丸及び自分に鳴海を車のトランク内に運ぶよう指示し、自分が同人の足、秋丸が頭をそれぞれ持つて車の前まで同人を運び、衣笠があけたトランク内に、鳴海の頭が右側に来るようにして寝かせた。その後、秋丸が三木方面から来る自動車に気付き、衣笠に注意したので、同人はトランクを閉め、被告人三人は右自動車の傍に佇立して、走つて来た自動車の動向を見守つていたところ、同車は、小南方前を通り過ぎて少し離れた所で、一人の男を降ろして走り去つた。車を降りた男は、小南方の東側の空地を横切つて、小南方裏手のアパートの方へ歩いていつた。その後、衣笠は、秋丸に対し、布団か毛布を持つて来いと命令し、同人は小南方に戻つて布団と毛布を持つて来てトランク内に詰めると、衣笠は、トランクの蓋を閉め、車の運転席に乗り込んだ。自分は、秋丸から前記鳴海の荷物を受け取つて、車の助手席に乗り込んだが、その際、秋丸に対してねぎらいの言葉を掛けてやつた。衣笠は、まもなく自動車を発進させ、三木方面へ向つた。』

三田中の自白(後半部分)

『自動車は、西神戸有料道路を通り、夢野交差点、平野交差点を経て有馬街道へ出て、無人の裏六甲ドライブウエイ料金所を通過して六甲山頂上へ走り続けた。一時間半か二時間位走つてS字カーブを過ぎ、ガードレールが切れたところで、衣笠は車を道路脇に停め車から降り、自分も続いて降り、衣笠の指示で鳴海の手足を二人で持つてトランク内からその身体を道路上に降ろした。衣笠は、いきなり鳴海の腰付近を抱えるようにして道路脇の藪のようになつた斜面に放り投げ鳴海は下の方へ落ちて行つた。衣笠はその後を追うようにして藪の中に飛び込んで行つた。トランクを閉め助手席に乗つて待つていると、二〇分くらいたつたころ衣笠が藪の中からはい上つて来て荒い息をさせて運転席に乗り込んで来た。衣笠の手の甲には鶏卵大の大きさの血がついており、同人は白いハンカチでそれを拭き、「二、三回突き刺してきた」と言つていたが、そのとき衣笠は登山ナイフのような刃物を手にしていた。しばらく息をはずませた後、衣笠は自動車を発進させ、少し走つてからUターンしてもと来た道を引き返したが、途中から往路とはコースを変え、表六甲有料道路を通り、阪急西灘駅前に出て自宅のある大東物産ビルの前で停車し、自分はそこで降り衣笠と別れた。その際衣笠の指示で、小南方を出発する際に秋丸から受け取つた鳴海の荷物を入れた青色ビニール袋を同ビル前路上のごみ置場に既に置かれていた一〇個程のビニール袋の真ん中あたりに捨てた。』

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